小泉八雲記念公園

ギリシャの雰囲気が漂う、小泉八雲記念の地
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施設名 小泉八雲記念公園
所在地 東京都新宿区大久保1-7
紹介  大久保小学校の西向かいにある区立公園。、「骨董」「怪談」「日本一つの解釈」等の著作や日本を世界に紹介した事で有名な、小泉八雲(フカディオ・ハーン)の終焉の地である新宿区と、小泉八雲の生まれ故郷であるギリシャのレフカダ町が、平成元年10月に友好都市提携を締結したのを経緯に造られ、平成5年4月に社会保険庁宿舎跡に開園された公園。園内にはレフカダ町から贈られたという八雲の胸像がある。八雲(ラフカディオ・ハーン)の父親はアイルランド人だが、母親がギリシャ人で、彼自身もギリシャで生まれたのが縁で、新宿区とレフガタ町が友好都市になった。

●ハーンの銅像
 像の右には白い壁があり、ハーンが幼少期を過ごしたアイルランドの育った家に掲げてあるプレートと同じものが駐日アイルランド大使から寄贈され掲げられてる。碑には、「Here Lived LAFCADIO HEARN March 1902~September 1904 小泉八雲旧居跡 明治35年3月ヨリ37年9月マデ」とある。胸像は、島根県松江市塩見繩手公園にもある。

●小泉八雲
 明治23年アメリカから遥々日本にやってきた。日本国籍を取得する前の彼の名前はパトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)で、一般的に知られているラフカディオはミドルネーム。ハーンのところはよく「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは来日した時、彼のファミリーネーム「Hearn」を誰かが文字読み等で「ヘルン」と発音してしまったのが定着してしまったもの。ただ妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたことがある。
 生後間もなく父の転勤で、母子はアイルランドに帰ったが、母は異郷の風土や生活に馴染めず苦しみ、程なく離婚して去った。父が再婚したのはハーンの6歳の頃で、以来ハーンは母への思慕と父への反感を募らせた。また13歳の時、遊んでいて左目を傷め失明したが、それも彼の一生に暗い影を落としている。19歳でアメリカに渡って職を転々としたハーンは、やがて新聞記事、エッセイ、翻訳、評論、創作で幅広い文筆活動を続け、特派記者として横浜に到着した。
 それから半年後、松江中学の英語教師になったハーンは旧藩士の娘小泉節子と結婚した。なお名前の「八雲」は、一時期当人が島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされる。彼が松江時代に居住していた住居は、昭和15年に国の史跡に指定されている。三男に画家の小泉清がいる。

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