【ウダガワチョウ】宇田川町の由来

 渋谷川の支流宇田川の下流が渋谷川に接する辺りは、室町時代末期上杉の臣宇田川和泉守またその子喜兵衛によって開発されたという。和泉守は港区の宇田川も開発しており、その子喜兵衛またその子孫は代々芝宇田川町の名主を務めた。しかし江戸川区小松川に移住して宇喜新田を開発し宇喜田村を開いた人に喜兵衛定氏という人がおり、同一人物ならお忙しい御仁だ。父親が石見守勝重というから別人か? ややこしい。杉並区善福寺川沿線にはこれまた宇田川姓が多い。関東の宇田川氏は佐々木氏流だという。宇田川さんが開発したので宇田川なのか? 地名の語源的には「ウダ」は「ムタ(牟田)」で湿地また泥田を言う。宇田川流域はまさに泥田・深田・浮田であり、昭和30年ころまでは大変なところだったようだ。深町(深田)という名前も交差点名に残っている。

 上渋谷村。明治22年渋谷村大字上渋谷、同42年渋谷町大字上渋谷、昭和3年渋谷町大字上渋谷字宇田川・中渋谷字宇田川・中渋谷字大向をあわせて渋谷町大字宇田町とし、同7年渋谷区宇田川町となった。宇田川町といえば陸軍刑務所。2・26事件を起こした青年将校たちが銃殺されたところだ。戦後は進駐軍(米軍)住宅ワシントン・ハイツとなり、同39年返還され翌年跡地は区役所と公会堂になった。同45年宇田川町に大向通・上通3丁目・神宮通1丁目・栄通1丁目の各ごく一部をあわせた町域を現行の「宇田川町」とした。

このページのTOPへ