【ウグイスダニチョウ】鶯谷町の由来

 町内を流れていた谷川(三田用水鉢山口水路)に架けられていた「鶯橋」にちなむが、往時は鶯の啼く里山だったのだろう。延岡藩内藤家の薪山(まきやま=燃料を供出する森)で鶯谷といったかどうか判らないが、谷川の跡は殆んど路地として残っている。だから鶯谷は15番地の鶯橋跡だ!

 下渋谷村。明治22年渋谷村大字下渋谷、同42年渋谷町大字下渋谷、昭和3年渋谷町大字下渋谷字猿楽・渋谷町大字中渋谷字並木前・長谷戸(ながやと)をあわせて渋谷町の新しい大字鶯谷として成立、同7年渋谷区鶯谷町。同45年鶯谷町に猿楽町・八幡通2丁目・鉢山町・下通5丁目の各ごく一部をあわせた町域を現行の「鶯谷町」とした。住居表示で単独町は認められないことになっているのだが、板橋区相生町を認めたため都は反対する理由を失ってしまった。この町もそれを理由に残ることを得た。パルコパート37のパルコミュージアムは企画展のみの美術館。

このページのTOPへ