【ニジッキマチ】二十騎町の由来

 御先手1組は寄騎馬(与力)10騎なので2組で20騎、実際20区画に与力の20家があったことによる。「騎」とは馬に人が乗った状態の数詞で、与力には乗馬が義務付けられた。「旗本八万騎」というように戦闘状態での騎馬武者の数え方。「寄騎」は、「騎を寄せる」で、「従う」の意、「与力」は江戸時代に入ってからの言い方だが、「力を与ける」で、やはり「従う」意。「同心」は「心を同じうす」で、「協力する」の意。したがって同心は与力より格が上。

 牛込村。天龍寺境内。天和三年(1683)天龍寺が焼けて新宿4丁目の現在地に移転していった跡地の一部に西丸御先手与力2組に与えられた大繩地の俗称。明治4年正式に町名となり、同44年牛込の冠称を外した。昭和22年新宿区二十騎町。平成2年新住居表示を実施、市谷甲良町・納戸町・市谷加賀町1~2丁目の各一部をあわせた町域を現行の「二十騎町」とした。

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