【アラキチョウ】荒木町の由来

 町名は荒木坂・荒木横町に因むのだが、それは荒木志摩守政羽(浅野内匠頭の赤穂城を受け取りに行った人)の屋敷があったことによる。坂は急で雁木(段々)の坂だったが今は削土されて緩やかになった。またこの辺りは植木屋が多く〝新木〟から来たともいうがどうだろう? 
 江戸時代のガーデニング・ブームは現在の比ではない。また後に荒木屋敷は高須松平摂津守義行が拝領したので荒木坂は「津の守坂」と呼び変えられるようになった。どういう訳なのか摂津守だけは「せ」を略して「つのかみ」と読むことがある。玉川上水に「津の守橋」があった。現在は北沢橋といい暗渠ながら橋の形体を残していたが、平成16年末中野通りの延長で消え右岸の親柱だけが少し向きを変えて残された。

 江戸以前は薄原で「潮踏の里」と呼ばれた過疎地。江戸時代は美濃高須松平家上屋敷と御先手同心大繩地。明治5年この2つの武家地を合わせて四谷荒木町を起立し、同44年「市町村制」施行により四谷の冠称を外して現在に至っている。

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