【アカギシタマタチ】赤城下町の由来

 赤城明神社のある台地の下に当たるので「赤城明神下」「赤城下」と俗称されていた。

 牛込村の内。江戸時代は持筒組・御先手組などの大繩地。俗に「お組」といった。明治5年俗称を町名として牛込赤城下町が起立、同44年から冠称を外して現在に至っている。赤城神社は社伝では正安四年(1300)の創建とするが、大胡氏が移住すると同時に早稲田村の田島(早稲田鶴巻町558番地の元赤城神社)に勧請したものだろうから十五世紀半ばと考えられる。寛正四年(1460)太田道灌が牛込門内に移し、弘治元年(1555)9月大胡氏の子孫牛込勝行が赤城元町の現在地に遷座した。

大縄地
 下級武士の宅地は職務上で同じ組に属する者がまとまって1ヶ所に包括的に居住地を与えられたためが、これは土地を一括りにすることから大縄地・大縄屋敷といわれた。大番以下の旗本組屋敷、建物地だけではなく、農地、拝領地も含めてこう呼んだようだ。

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