【アサガヤキタ】阿佐谷北の由来 1丁目~6丁目

 

阿佐谷北の由来
「浅ヶ谷」ではないかいわれている。「麻ヶ谷」だろうという説もある。港区の麻布を「阿佐布とも書いたので故なきにあらずだ。多摩は麻布を沢山生産したので「多麻」だそうだ。
どっちにしろ阿佐ヶ谷は谷(低湿地)であることに相違はなく、現在の阿佐ヶ谷で低地といえば桃園川流域だ。昔は二本も三本も川が流れていた。元伊勢と呼ばれる天祖神社の旧地が阿佐ヶ谷北5丁目にあることからして、浅い谷は1・5丁目の間の桃園川流域だ。

 中央線以北の阿佐ヶ谷地区の意。

 

 阿佐ヶ谷村。明治11年「郡区町村編制法」により東多摩郡に所属、同22年「市制町村制」により杉並村大字阿佐ヶ谷、大正13年杉並町大字阿佐ヶ谷、昭和7年東京市編入20区増設により杉並区阿佐ヶ谷1~6丁目。昭和40年新住居表示により阿佐ヶ谷3・5~6丁目の全部・4丁目の大部分に、阿佐ヶ谷1~2丁目・天沼2丁目・馬橋3~4丁目の各一部をあわせた町域を現行の「阿佐ヶ谷北」とした。

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