【トツカダイイチ】戸塚第一小学校

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西早稲田3丁目10番にある区立校。沿革不明。明治9年早稲田村22番地(早稲田鶴巻町22番地)に学制による「第三中学第二十七番公立小学早稲田学校」として開校。土地家屋は西洋人アベル(詳細不明)が府に寄付したものを下付された。同13年校舎の老朽化と東部に偏在していることにより、下戸塚451番地(西早稲田3‐12 高田馬場の跡地の一角)に移転。教育令により「睦合小学校」と改称。これは「ぼくごう」と読むが、学区が諏訪村・上戸塚村・下戸塚村・源兵衛村(実際は明治24年からこの学区に入った)・早稲田村・中里村の6ヶ村になり、この6つの村を合わせるという意味合いの六合から作り出された。同19年小学校令により「東京府南豊島郡睦合尋常小学校」と改称。同22年戸塚村成立。同39年分教場開設(後の戸塚第二小学校)。同40年小学校令改正により「東京都豊多摩郡戸塚尋常高等小学校」と改称。戸塚村大字戸塚字清水川6~8番地(高田馬場1‐25 戸塚第二小学校)に分教場開設。校歌制定。

 校歌「孝義の刃」 作詞・山根緝一郎  作曲・東儀鉄笛 校閲・芳賀矢一

  1.
(男児斉唱)

    孝義の刃 打ち振るい
    野辺の秋草 血に染めて
    時 人の夢を破りたる
    益荒武男の名は高し
  2.
(女児斉唱)
    狩場に濡るる武士(もののふ)の
    蓑を乞ふるに言(こと)も無し
    山吹の花捧げてし
    手弱女(たをやめ)こそは床しけれ
  3.
(男女斉唱)
    武勇の原に地を占めて
    文化の跡に程近き
    聳えて高し我が母校
    移るも久し五十年
  4.
(男女斉唱)
    輝く歴史仰ぎつつ
    大和心を一筋に
    翳すや庭の桜花
    学びの業に勤しまむ

 大正3年戸塚町成立。同7年分教場を戸塚第二尋常高等小学校として分校したことにより「東京府豊多摩郡戸塚第一尋常高等小学校」と改称。昭和2年高等科を戸塚第二尋常高等小学校に移し、「東京府豊多摩郡戸塚第一尋常小学校」と改称。同6年戸塚町1丁目404番地(現在地)に移転。同7年周辺郡部が東京市に併呑され淀橋区成立し「東京府東京市戸塚第一尋常小学校」と改称。同11年新校歌制定。

 新校歌「春の恵みの」 作詞・風巻景次郎  作曲・信時潔

  1.春の恵みの陽を受けて
    名も芳しき山吹の
    面影映す神田川
    流るる水の清きをば
    我が心としいざさらば
    学び勤めん諸共に
    励み勤めん諸共に
  2.ここ山の手の丘の上
    高田の馬場に見さくるや
    実(げ)に潔し富士の嶺の
    高く美空に聳ゆるを
    我が心としいざさらば
    学び勤めん諸共に
    励み勤めん諸共に

 
同16年勅令148号国民学校令により「東京府東京市戸塚第一国民学校」と改称。同18年都制の施行により「東京都戸塚第一国民学校」と改称。
 同22年3月新宿区成立。4月学制改革により「東京都新宿区立戸塚第一小学校」と改称。

 
全国優勝

 昭和2年8月10日から3日間、明治神宮球場で催行された第8回全国少年野球大会には出場34校、いずれも各地方の代表チームで、Aチーム17、Bチーム17、東京代表は早稲田実業(A)と戸塚一小(B)だった。戸塚一小は1回戦広島呉五番町小を1:0で破りベスト8、準々決勝は弘前和徳小を5:1、準決勝は横須賀鶴久保小を7:0、決勝は大阪大和田小と戦って2:1で勝ち、戸塚天狗クラブの名で参加して以来、初めての全国優勝を果たした。

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