【ウシゴメナカノ】牛込仲之小学校

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 市谷仲之町4番、女子医大通りに面してある区立校。明治41年9月1日市谷仲之町59番地に「東京府東京市牛込尋常小学校」として開校。牛込高等小学校が愛日小学校から移転。「牛込尋常高等小学校」と呼んだが正式名称ではなかった。開校と同時に校章制定。
 大正8年高等小学校は長延尋常小学校に移転。牛込尋常小学校保護者会が誕生。同12年関東大震災では屋根瓦と壁に僅かの被害があったものの校舎は無事で避難者収容所となり、9月は休校した。同14年理科室設置。昭和2年電話設置。同5年校歌制定。

 校歌「大御光の」 作詞・高野辰之  作曲・信時潔

 
 1.大御光の輝く真下
    知識の花の先ず咲く処
    此処の都に生い立つ我等
    我等は学ぶに恵まれたる身
  2.清き方にと正しき方に
    明るく広く道ある処
    心直くば何躓(つまづ)かむ
    我等は進むに恵まれたる身
  3.いざや牛込小学校に
    学ぶ我等の千幾百は
    教え守りて彼の富士ヶ嶺の
    世に仰がるる人としならむ

 6年プール完成。同12年鉄筋コンクリート造り3階建て新校舎が落成。流線型模範校舎として新聞に紹介された。校旗新調。同16年国民学校令により、牛込高等小学校を牛込国民学校としたため「東京府東京市仲之国民学校」と改称。12月日米開戦。同18年都制施行により「東京都牛込第六国民学校」と改称。同19年栃木県芳賀市羽村・七井村・祖母ヶ井町・益子町の7学寮に分かれて集団疎開。帝都防衛部隊・通信部隊が空き教室を使用。同20年空爆により学区域が焼野原となり、幸い焼け残った校舎に罹災者を収容。
 10月疎開解除により集団疎開児童が帰校、残留児童と合流。学校再開。同22年学校給食開始。4月学制改革により「東京都新宿区立牛込第六小学校」と改称。牛込第六小学校母姉会が誕生。同23年「東京都新宿区牛込仲之小学校」と改称。新校章制定。学校給食が始まる。同24年児童科学教室開設。牛込第六小学校母姉会を廃止、「牛込仲之小学校PTA」発足。
 同31年余丁町小学校復興により一部生徒が移籍。同32年愛日小学校復興により一部生徒移籍。創立50周年記念式典に元文部大臣天野貞祐参列。この学校は研究活動が活発だが、特に道徳教育の研究は特筆に価した。特設道徳の発足は正式には33年度からだが、前年度から全職員が道徳指導の研究に取り組み、同33年松永東文相の来校視察以来、見学者は引きも切らず、NHKでは2回に亘って実況放映。参加者は800名に達した。また音楽教育でも名を上げ、NHK、TBSなどの音楽大会で活躍し、同39年オリンピック東京大会の開会式に鼓笛隊が出場し都からオリンピック協力感謝状が贈られた。
 平成2年鉄筋コンクリート造りの新校舎落成。同6年コンピュータルーム開設。同10年牛込原町小学校を併合。平成18年首相安倍晋三が来校、6年生と会食。
平成21年創立100周年を迎える。

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